レポートのフィードバック: #3
ディーン・アヤラ氏(ゲーム・デザイナー)
ディーン・アヤラ氏(ゲーム・デザイナー)
Vicious Syndicateがデータ・サイトとしての本領を発揮してハースストーンの将来を案じた今回の提言は、データ重視の理論派である開発陣のディーン・アヤラ(Dean Ayala)氏をも大きく突き動かしました。
最後に、同氏がツイッターで発信した、レポートに対するフィードバックを掲載します。
ディーン・アヤラ
- これは大変興味深いトピックであり、つい最近にも「デッキの相性差」と同様の事象について、独自に検証したばかりだった。
私たちのデータが、このレポートに沿った内容であるかは定かではないが――私たちの検証結果においては、劇的にデッキの相性差が高まった様子は確認できなかった。
ランクや期間の集計範囲が、レポート内のデータと私たちのデータとの相違を生じさせたのかも知れない。 - いずれにせよ、このレポートから私が興味深く感じたことは、メタ・ゲームにおけるデッキの相性差が発生すること自体は、やはり必要であるということだ。
その発生の最適な度合いを探ることが肝要となる。
- ハイレベルな対戦においては、二つの意思決定が重要な意味を持つ。
実際のゲーム・プレイ時における意思決定と、メタ環境へ臨むデッキを選択する意思決定だ。 - メタ環境内における人気デッキの一つが着目されて、「このXというデッキは、Yという人気デッキの対抗になるから使ってみよう」などと思案される傾向は、私は健全であると思っている。
そして、XデッキがYデッキの使用率を下げて、今度はZデッキの使用率が高まる等々――
いくつかのデッキが他のデッキの対抗手段になれるという環境が、色々な意味でメタ・ゲームの進化の基礎となるはずだ。 - 「デッキの相性差が極端であるメタ環境」の対極の位置に存在する環境とは、全てのデッキの勝率が50%であることを意味するのだろうか?
特定のデッキに対するカウンター・デッキが存在する方が好ましいと同意されたならば、後は私たちがそれらの相性差の最適な度合いを見つける必要がある。
- 「相性差を高めるカードや、プレイヤーが嫌う無尽蔵のリソースの産出には注意してほしい」
――レポート内のこの提言に対して返答すると、そのようなカードのデザインは危険を伴うということについては、完全に同意する。 - しかし他方では、デスナイト、翡翠、奇数偶数関連のデッキをプレイヤーが嫌っているということについては、全く同意していない。
「そのようなタイプのカードを作らなければいい」という単純な解法によって片付けられる問題ではなく、解決するためには複雑な手順を要するものと信じている。
- 私たちは、デッキ選択の意思決定に意義を持たせたい。
メタ・ゲームはシフトしていくべきであり、そこに存在するデッキの中には、それぞれの強力な対抗策となるデッキが含まれているべきだ。 - 私たちは、ゲーム・プレイ時の意思決定に意義を持たせたい。
デッキを選択して対戦へ臨んだ際に、そのデッキ選択こそが勝敗の全てであったと感じられるべきではない(デッキ選択は重要な決定事項の一つとなる必要があるが)。 - デザイン可能なカードの種類が大幅に制限されてしまったら、私たちは上記二つを同時に達成できるだろうか。
途方もないバリューを持つカードや、途方もないダメージを発生するカードなどを、私たちが作成することは可能であるべきだ。
そのようなカードはゲームに面白さを提供するし、一部のプレイヤーは楽しんでそれらを活用する。
- 以上までが、今回のレポートの提言に対する回答になることを望んでいる。
大変素晴らしい記事だったし、読んでいて面白かった。 - 私たち開発陣は、レポートの内容について考えにふけっている。
他の人々の思考を読み解くのは素晴らしいことだね :)
このディーン・アヤラ氏の回答に対するコミュニティの反応です。
- このVicious Syndicateの記事に対するアヤラ氏の返信は適切であると感じている。
彼は、この問題を完全に否定することなく、相性差問題の善悪両面の説明を果たした。 - 彼が「ゲーム・プレイ時の意思決定に意義を持たせたい」と述べたことは嬉しいけれど、実際のいまのランク戦においてはデッキの選択こそが重要な要素なんだよね。
あと、「デッキから何が引かれるか」という要素が、ここ最近では大きな重要性を持ち続けていた。
強力ながらも1枚しか組み入れられないデスナイト・カードがデッキの奥底で眠り続けることもあるし、「ラザプリ」同士の試合はキー・カードを先に引けた側が勝利する対戦になっていた。 - プレイヤーはゲーム・デザイナーではないし、Vicious Syndicateはデータのスペシャリストではあるけれどもゲーム・デザインのスペシャリストではない。
だから、彼らが提案した解決策をゲーム・デザイナーが却下したとしても、それは100%了承できることである。
しかしながら、「現状には何も問題がない」という態度がとられた場合は、それには同意しかねる。
たとえプレイヤーたちが提案する解決策が間違っているのだとしても、これほどの規模のフィードバックが巻き起こっていること自体は、何らかの問題が現在発生していることを示している。 - その意見の一部は、Mark Rosewater氏(マジック・ザ・ギャザリングの主席デザイナー)が「20の年、20の教訓 その3」で残した教訓を思い起こさせるね。
教訓#19:受け手は問題を見つけるのは上手いが解決するのは下手である
この教訓は医師の問診に例えられる。医師が必ず最初にすることは、患者に気分を尋ねることだ。それは、自分のことを一番よく知っているのは自分だからである。自分の気分を自分以上に知っている人などいないのだ。しかし、医師は患者が抱えている問題を解決する方法を患者に尋ねることは多くない。それは、医師のほうが詳しいからである。これと同じことがゲームデザインにも言えるのだ。
プレイヤーは、自分がそのゲームに対してどう感じているかを作者よりもよく知っている。何か問題があれば、それを伝えてくることは簡単だし、彼らは問題を見つけることには本当に秀でている。しかし、問題を解決することについてはそうではない。彼らは課せられている制限や、満たすべき条件を知らない。彼らは彼らの視点からゲームを見ているが、作者はすべてのプレイヤーの視点を理解する必要があるのだ。つまり、ゲームの問題点を見つけるためのリソースとして受け手を使うべきだが、彼らが解決策を提示してきてもそれは話半分に捉える必要があるのだ。
- 相性差の偏り(かたより)の解消について難航しているのだとしても、これはデザイナーとして優れた回答だ。
相性差自体が問題視されるのではなく、相性差が過度に増加している事象こそが問題視されるべきだ。
真に問われている事項は「現在の相性差の偏り具合が過剰であるのか?」であり、「何がその要因となっているのか?」である。