先日のレイオフは、唐突に、全ブリザード社員を失意と悲しみのどん底に突き落としました。
そして、その影響はブリザードを支持するファンにも及び、怒りがまぎれる失望感を彼らに与えました。
レイオフの断行の結果、ドライな判断を下す投資家たちを一時的に喜ばせはしましたが、情熱的なサポートで永続的にブリザードを応援しようとしているファンには、以下のような疑問を植え付けました。
「ブリザードのファンは、これまで通りにアクティビジョン・ブリザードを支持するべきなのか――」
ブリザード・ファンが失望した大きな理由は二つあります。
一つは、「非開発部門」と称してあっさりと切り捨てた管理部門――ソーシャル、マーケティング、ライター、報道、ストリーミング、e-Sports等々――の各マネージャーたちを、まるで軽んじていたかのように映ったことです。
ブリザードのゲームは、ただ質が高いからという理由だけで、長く熱心に支持されてきた訳ではないように思われます。
ブリザードのゲームは、コミュニティの意見をすくい上げるための対話の場を多様に設けて、豊かなユーザー・エクスペリエンスや参加体験の数々を提供することで、付加価値をつけてきました。
それが競合他社のゲームとの差異を生じさせ、ブリザード固有の熱狂的なファンを定着させました。
そうした魅力的な「ブリザード・ブランド」を高いレベルで維持しようとするスタッフを軽視することは、ブリザードを大きく成長させた主要因であるはずの、独特なブランド力の低下につながります。
これはブリザード・ファンが全く望んでいないことであり、ひいてはブリザード・ファンの軽視につながるとも言えます。
「悲しくも解雇された彼らは、コミュニティの活動を推進、およびサポートし、それらに『サムズアップ』してくれていた人々だ――ゲームの開発には直接関与していなかったが、ブリザードを特別なデベロッパーにするためには不可欠な人員だった」
「ゲームの販売と発展に寄与するという意味では、彼らは『非開発部門』などではなく、共に開発に携わる(たずさわる)重要な役目を果たしてきたはずだ」
「私たちファンのために奉仕する従業員をリスペクトしない企業に対して、ファンがリスペクトすると思っているのか」
――この数日間で、以上のようなブリザード・ファンの意見が非常に多く見受けられました。
もう一つの理由は、ファンを失望させると同時に、炎上の理由にもなりました。
レイオフと同時に発表された決算報告の中で、アクティビジョン・ブリザード社は、「2018年度は純利益と純収益が共に前年度を上回り、記録的な収益がもたらされた一年であった」と高らかにアピールしたのです。
その「記録的な収益」を従業員に還元するどころか、「記録的な収益」を得たのに800名弱も解雇したことが明るみに出ると、ファンのみならず従業員たちもあ然とし、そして怒りの感情を隠しませんでした。
今回のレイオフに関して、各方面で実によく引き合いに出されたエピソードが、任天堂の元社長である故・岩田聡(いわた さとる)氏が語った企業理念です。
同氏は、2013年に「Wii U」の販売で苦戦して事業が低迷していた時期に、他社が行うようなレイオフの措置をとることを拒絶していました。
「レイオフ後に残された従業員たちが、モラルの低下と解雇の不安にさらされていたら、世界中にインパクトを与えるようなソフトはとても制作できない」
「レイオフは短期的な対外評価の改善を果たすかも知れないが、それは常に、長期的に生産を続ける上での障害となってしまう」
――奇しくも「短期的な問題の解決よりも長期的な観点による解決の方が重要」と繰り返し訴え続けているハースストーンの開発陣を雇用している企業側が、長期運営のリスクを度外視して短期的な解決手段であるレイオフを断行し、そして残された開発陣に悲哀と恐怖を与えたのです。
任天堂は、岩田元社長自らが報酬を50%減額し、取締役も20~30%の報酬減額に応じることで当時の苦境を耐えしのぎ、ご存知のとおりの記録的な業績回復を経て見事に復活しました。
アメリカでも有数の高額報酬を誇る、アクティビジョン・ブリザード社CEOのボビー・コティック(Bobby Kotick)氏の年俸は、およそ3,000万ドル(約33億円)であると報じられています。
一度は退社したCFO(最高財務責任者)のデニス・ダーキン(Dennis Durkin)氏を呼び戻すために、高額過ぎると指摘される1,500万ドルもの報酬が用意されていたことも明らかになりました。
「記録的な収益」を得たはずの、彼ら役員たちの報酬がわずか数パーセントだけでも還元されていたら、レイオフ対象者たちの賃金を補填(ほてん)できたのではないかと誰もが考えています。
このたびのレイオフ騒動は、これを機にブリザードへ別れを告げた者も含めた全てのブリザード・ファンに、「今のアクティビジョン・ブリザードは私たちが愛したブリザードではない」ことを改めて鮮明に印象づけました。
ブリザードの本来の魅力やブリザードが熱狂された理由とは、ファンそれぞれに独自の考えがあることでしょうが、一般的には「ゲームに関わる全ての『人』こそを最も尊重する開発姿勢」にあったと思います。
ゲームが大好きな開発者が楽しく制作できる環境を整えて、コミュニティを顧客ではなく仲間として捉えて、その双方が一緒になってゲームを発展させていくという素晴らしい体験をもたらしてくれたからこそ、ファンは驚異的な情熱をブリザードのゲームに注ぎ続けてきたはずです。
自社のゲームの発展に携わる「人」を切り捨て、自社のゲームをプレイする「人」との関わり合いを切り離し、利益と数字を追うことを第一主義とする方針は、私たちがファンであることを誇りとさえしていたブリザードの哲学とは全く異なります。
その全く異なる哲学を肯定することになる、今のアクティビジョン・ブリザードに対する支持を、これまで通りに情熱的に続けていいものかどうかと、かつてのブリザードのファンたちは葛藤(かっとう)しているのです。
運営方針の転換によるものと思われるような、ファンの意向を汲(く)もうとしていない断絶の兆候が、ここ数年間ですでに続発していました。
その極め付きが、「BlizzCon 2018」におけるモバイル版「Diablo Immortal」の発表でした。
何年も新規ナンバリングがなかった「ディアブロ」のファンたちは、大作を渇望していたにも関わらず、手狭(てぜま)で拡張性が乏しい「ミニ・ディアブロ」を提示されました。
独自性ある最高のゲームの制作を自社だけで完結することが自負(じふ)であったにも関わらず、提携した中国会社の既存のゲームとそっくりであるプレイ画面を、「BlizzCon」でブリザード・ファンは見せつけられました。
仮にこれが実際に面白い内容のゲームであったとしても、時代の流れを見据えたプロジェクトであったとしても、ブリザードのファンがブリザード・ゲームとして本来望んでいた製品ではありませんでした。
結局、この中国会社との共同開発によるモバイル・ゲームの制作発表に対しては、発展を続ける中国市場にすり寄る金策に過ぎないという評価が下されています。
その後の粗末な弁明も含めて、ブリザード・ファンの胸中を読み取れていない「ブリザードらしさ」の希薄さの象徴となりました。
「ブリザードらしさ」などにこだわらない、「ゲームが面白ければプレイする」と自由にブリザード・コミュニティを出入りする、一般プレイヤーたちの方がよほど健全な思考の持ち主であるのかも知れません。
それでもブリザードのファンたちは、他にはないゲーム体験に熱狂してきた思い出が徐々に薄まり、そしてブリザードを特別扱いしない一般プレイヤーになりそうであることを――あるいは、他のファンが続々とそうなっていることを――大変寂しく、心苦しく感じています。
「ゲームの高品質化」にこだわることの方針は否定されていませんし、実際に今後もアクティビジョン・ブリザード製のゲームの質は高水準でしょうし、そうであるからこそブリザードのファンたちが急に一斉にプレイを止めることもないでしょう。
とはいえ、数字や利益ばかりを追い求め過ぎて、せっかく培って(つちかって)きた独自のアドバンテージである「ブリザードらしさ」をいとも簡単に捨て去るのは、非常にもったいない行為だと思われませんか?
そのアドバンテージを具現化するブリザード固有のファン層の情熱や、ブリザード・ブランドをより良くしようと努力するスタッフを大量に失うことは、長期的な運営上のリスクになりかねないと思われませんか?
かつてのブリザードのように、ゲームに関わる全ての人を味方にして惹(ひ)き込むようなデベロッパーであり続けてほしいと、私も心から願っています――それが、これまでとこれからにアクティビジョン・ブリザードに関わる全ての人を、永続的に幸せにするものと信じています。